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海外マンガ通信『Cambodia Chatter Boy 第7回 カンボジア社会インフラ事情(1)通信』

カンボジアの首都プノンペンに初めて来た時に、皆さんが一様にびっくりされるのは、「一見」先進国の都市にもひけをとらない発展状況です。高層ビルやハイウエイなどはまだそれほど多くはないのですが、非常に多くの建設中のビルを見ることができます。そしてなによりも目を引くのが高級車の多さです。アジアでのロールスロイスの販売台数が今ダントツでのびているのがカンボジアだと言われています。しかしその「一見」先進国の裏側を何回かに分けてお伝えしていきたいと思います。 今回は特に「通信」の面からお伝えしていきます。

こんなロールスロイスを1日に何台もみかけます

カンボジアはご存知のように不幸な歴史があり、1970年代にすべての文化が破壊され、1980年代には内戦が激しくなったために多くの国民が国を追われ難民としてタイに逃れるなどして、1990年代に入るまで平和がありませんでした。文字通り限りなくゼロに近いところからの再出発となりましたが、自衛隊も参加した、大量の国連平和維持部隊の派遣により、一気に最新の物質文化が流入することになりました。その結果、日本や他の国のように文明の利器の発展と共に段々と栄えるのではなく、中間を飛ばして一気に最新の世界標準が入ってきてしまいました。 以前にコスプレの記事の時にも書きましたが、バランスよく発展できていなくて、我々日本人から見ると違和感を感じるところが多々あります。日本の鎖国後の明治文明開化の時には、西洋人から見た日本もこんな感じだったのかもしれないとも思われます。そこにまた貧富の格差も加わってさらに複雑になってきているのが現在のカンボジアです。 以下、整理して書いてみたいと思います。

海外行ったことのないカンボジア人はたぶん公衆電話を知らないです

(1)通信環境 日本では電話交換手の取次電話から黒電話、プッシュホン、やがてFAXが現れて、回線もアナログからデジタル化し、ISDN、ADSL、光通信へと進化、インターネットの普及がそれに拍車をかけてきました。それに並行して携帯電話も急激に進化して現在のスマホの普及につながってきました。日本の通信環境はこうした段階を踏んで発展してきており、我々もそれとともに徐々に生活を変化させて対応してきています。 一方カンボジアでは、1970年代からの内戦、鎖国、虐殺の時代に、それまであった電話回線も失われてしまい、その後徐々に首都圏では電話線の整備も細々とされてきましたが、全国的に本格的な通信網の整備は内戦終結後の1990年代になってからでした。私が働いていたNGOでも電話線をひきましたが、時々突然プッツリと通じなくなりました。そういう場合、外に出てチェックしてみると電話線が何メートルか、時には何十メートルもちょん切られて盗まれてました。いつの間によじ登ってそんな・・・まあ見事な手口でした。この状況は、後に無線電話を導入するまで続いてました。 公衆電話については、これも20年くらい前にはオーストラリアの通信会社が公衆電話をプノンペン市内の何か所かに設置してましたが、内戦以降は硬貨のない国ですし、わざわざプリペイドカードを買って電話かけるのも面倒、というところに携帯電話の普及だったので、公衆電話もいつしか結局消えてなくなりました。 こんな風に、なにもないところからの通信網の整備だったので、回線も古いアナログ回線から取り替えるのではなく、最初から高速回線の整備が可能だったことは一つの利点でした。また、ちょうど世界的にも携帯電話が台頭、そして、インターネットも普及しはじめた時にもぶつかり、企業でもあえて有線電話を引いたりFAXを使う必要もなく、固定回線の代わりに無線電話(当時はデカかったので、あえて携帯電話とは言わずにこういう言い方させてもらいます)とパソコンとスキャナーで間に合わすところも少なくなく、今もFAXなんていうものは殆どみかけられないのも日本と大きく異なるところで、「FAXで送って~」なんていう会話はプノンペンではありえません。

20年前私もこんなのを使ってました

そしてここ数年ではWifiとスマホの普及により、家庭でも有線電話を持たずに、スマホさえあればすべて事足りるようになってきてます。知り合いのカンボジア人でも、家にテレビはなくてもスマホやタブレットは何台もあるという家も少なくないです、テレビのプログラムよりもインターネットの動画見た方が面白いということもありますので、テレビを買うなら安くWifiを入れるというところも多いです。加えて、首都プノンペンにおいてはカフェやホテルに無料のWifiがあるのがあたりまえで、どこに行ってもWifi経由でネットにつながるのは日本よりもずっと楽です。私も日本に出張すると逆にインターネット接続に苦労しています。ただし、これは首都プノンペンに限ったことであり、やはり地方との格差は開くばかりというのが大きな問題となっており、電気も水道もない地域もまだまだ多いのもカンボジアです。地方の生活についてはいずれまた述べさせていただきます。

(2)郵便 カンボジアから日本へ送る普通郵便は、私の経験から言うと、7割くらいの確率で届きますが、届かないことも多いです。郵便ポストなんていうものは、もちろんありませんので、郵便局の窓口まで行って料金を払っているというのに届かない・・・よくわかりません。そのため、日本に何かを送るときにはちょっと高いですが国際宅急便のEMSとかDHLのような追跡サービスの利用できるものを使うのが必須です。 反対に、日本からカンボジアに送る普通郵便は、まずこちらの手元には届かないと思った方がいいです。国際宅急便のEMSとかDHLとかFedexなどなら首都プノンペンはじめ、いくつかの大きな都市には送ることも可能ですが、その場合に重要なのは「住所」よりも「電話番号」で、荷物到着の電話連絡をもらったら郵便局や国際宅配便事務所に引き取りに行くというのが一般的です。 これはなぜかと言いますと、首都プノンペン以外には明確な「住所」というものがないのが現状なので、郵便の集配サービスもやりようがないのです。というわけで、郵便事情の改善は、まず住所の整備がされてからというのが大前提となってます。カンボジアに何か送るときにはご注意ください。

今回は手始めに「通信事情」をお届けしました。その他のインフラの昔と今についても、また追々お伝えしていきたいと思ってますのでご期待ください。

Mashiro ニッジェイアンチュン(カンボジア語で「ところで・・・」) 「20年前にはよく電話線が盗まれた」と書きましたが、その当時に疑問に思っていながらもなかなか言えなかったこと、今ここで書かせていただいてスッキリするのに暫しお付き合いください。 電話線がないと困ります、かといって電話線を復旧してくれ~と電話もできないので、電話局まで足を運ぶことになります。窓口に行くといつもの兄ちゃんが「やあ、毎度」という感じでにこやかに迎えてくれて、手際よく書類にササッと要件を記入してくれて、それに私がサインして、電話線代と工賃を払うわけですが、いつも彼のにこやかな対応を見るたびに、私には言ってみたくてしょうがなかった言葉がありました、それは、「お・・・おまえが電話線盗ったんとちゃうンか~?!!!!」   失礼いたしました、でもスッキリしました。

【Mashiro】 少年期の夢はボクシングの世界チャンピオン、青年期の夢は漫画家で某少年漫画誌新人漫画賞の最終選考作品に名前を連ねていたが、就職と共に夢は自然消滅。その後サラリーマン、海外援助団体勤務を経て現在はカンボジアで会社経営しながらカンボジア初のストーリー漫画を制作・出版・販売、また、漫画家養成セミナーを開催してカンボジア人漫画家の育成を行いながら、昔の夢2つを同時に実現中。

後でもう一度お試しください
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