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海外マンガ通信『Cambodia Chatter Boy  第2回ASEAN経済共同体発足と文化面での変化』


昨年2015年末の12月31日、ASEAN経済共同体(ASEAN Economic Community 略称AEC)が発足しました。そしてこのAECというのは、ASEAN加盟10か国の中でも、特にカンボジアにとって意味が深いものとなっており、今後カンボジアを語るうえで、経済的にも文化的にもAECのことを抜きには語れなくなってきますので、今回はこのカンボジアとAECの関係を少し述べてからその文化面への影響を考えてみたいと思います。

Figure 1アセアン参加10か国

経済レベル・文化・宗教など、これだけ違う国々が一つの経済共同体としてまとまろうというのですから、大変な苦労もあったものと思われますが、欧米や中国とも対等にビジネスを進めるためにと、ともかく発足いたしました。地図を見てもわかるように、カンボジアは10か国のちょうど真ん中あたりに位置し、さらに、ASEAN陸の5か国と言われるタイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオスの中でも経済的に一歩も二歩も抜きんでているタイの首都バンコクとベトナムの首都ホーチミンの中間という絶好の場所に位置してます。そしてまたアジアの大動脈、アジアハイウエイを見ると、バンコクとホーチミンを一直線につないだちょうど真ん中にカンボジアの首都プノンペンが存在しています。

Figure 2アジアハイウエイ1号線

一目瞭然で、改めて見ても実にいい場所にあります。そしてまた、アジアハイウエイの最大のネックであったカンボジア国内の「メコン河」ですが、これまではフェリーで渡るしかできなかったところに、日本政府の支援で全長2215メートルにもなる「つばさ橋」が昨年2015年4月に開通したことで、このASEAN地域の物流手段が大きく変わることになりました。そしてまた、AEC内の関税撤廃や輸出入手続き簡略化も加わって今後バンコク/ホーチミン間の輸送のほとんどはこの「つばさ橋」のあるアジアハイウエイのコンテナ輸送になっていくと期待されます。 こうしたインフラの整備、関税撤廃、VISA撤廃化などの結果、カンボジアにどんな影響が出て来るのか、いろいろ考えられますが、経済的なところはお偉い方々も書いておられて、私があえてまた書くこともないと思いますので、私は現地に長く住んで教育・文化の活動をしてきたその視点から、特に人の行き来が盛んになったときにどのような文化的な変化が現れて来るのかについて述べてみたいと思います。

人の移動でまず起きるのは、カンボジアの労働者がタイの工場へ出稼ぎにいくことが増加し、次いで中長期的には逆にタイやベトナムからカンボジアへの企業や工場の進出が増えて労働力がUターンしてくると思われます、軽い民族大移動の様相とも言えます。これまでもこうしたタイへの出稼ぎはありましたが、殆どは1年とか2年とか短期の単身での出稼ぎでしたが、今後は家族連れでのある程度長期の出稼ぎというのもおそらく出てくると思われます。ひところの南米から日本への出稼ぎがちょうどそんな感じでしたね、その場合、特に子供は言葉も文化も素直に吸収してカンボジアに戻ってくることでしょう。

中流から富裕層のカンボジア人たちは、たぶん今の日本で爆買いする中国人のように、タイへ爆買いに行くことが増えるだろうということも容易に想像できます、陸続きなのでバスでも行けるという利便性もあります。カンボジアは農業、縫製業以外の工業はまだまだ発展途上なので、電気製品はじめスーパーやデパートに居並んでる品々も当然のことながら、ほとんどが輸入品なわけです。一人当たりのGDPがやっと1000ドルを超えて日本の30分の1に満たないくらいの国民が、例えばタイ製のシャンプーひとつ買うにしてもタイ国内での定価の倍くらいの値段で買わなければならないというのが今のカンボジアです。タイは周辺国の爆買いを見越して早くからカンボジア、ラオス、ミャンマー国境付近にデパート誘致を積極的にしてきたといいますが、これは正解だと私も思います。

こうした人の移動により民間レベルでの文化の「交流」が起こると、当然のことながら情報量の多い方から少ない方へより多くの情報流入が起こるのは必然であり、タイやベトナムからカンボジアの方へと芸能・文化・映像情報がなだれ込んでくることでしょう。その結果、タイ語を勉強する若者が増えて、タイの漫画本なども翻訳されて流通してくるかもしれませんし、ケント紙やGペンやスクリーントーンなどの画材も楽に手に入るようになるかもしれません。こういう動きは大いに期待するところです。

そしてその後に起こりえるのが「融合」です。 我々日本人がいつも日本で食べているのと同じ料理を海外で注文してみたときに違和感を感じることも多いと思います、特に本場に行って食べた時に大きな違いに驚くことも多いと思います。カレーライス、ラーメン、ナポリタン等々、海外から日本へ伝わってきて、日本の伝統文化や嗜好と「融合」してできた実に沢山の素晴らしい料理を我々は毎日楽しんでおります。芸能・文化の分野でもこれと同じような発展をしてきたのは間違いなく、アメリカのアニメやコミックを参考にしつつも、鳥獣戯画などに見られる、日本に昔からあったの漫画文化を「融合」させて今の日本漫画文化を作り上げてきた経緯もあります。ここカンボジアにおいても、今が独自の新しい漫画文化を創り出す絶好のチャンスでもあると言えそうです。

Figure 3 カンボジアの子供達

ただ、心配なのは、平和になって20年、戦争を知らない子供たちが育ってきたところに西洋文化が急激になだれ込んできている今のカンボジアでは、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンなどが年々派手になり、首都プノンペンでは本来のカンボジア正月である4月に伝統的な仏教行事をとりおこなうよりも、12月31日のカウントダウンを楽しむように変わってきてます。あいかわらす韓流ドラマやK-POPはカンボジアの芸能よりも人気がありますし、そこにまたASEAN諸国から情報が入ってくる・・・交流が増えること自体はよいことですが、内戦の後に自国の文化も充分に復興しないうちに、他国の文化がこのような勢いで流入してきてしまうとカンボジア人のアイデンティティがどこかに行ってしまいそうな危機感を感じるのは私だけではないと思います。 かつての内戦時には、人々はカンボジアを追われて難民になりながらもカンボジアの伝統文化を守ることでカンボジア人であり続けました。しかし最近のカンボジアを見ていると、それとは逆に、カンボジア人はカンボジアに居ながらもカンボジアの文化を失くしていっているのでは・・・と感じます。 この大きな流れの中でも、カンボジアの文化を忘れずに、カンボジア人である誇りを持って、そのうえで様々な漫画を見て、真似て、そこに独特のの習慣や文化をうまく融合させた「カンボジアの」漫画やアニメを若い方たちが生み出していってくれることを期待してます。私の漫画家養成セミナーでもその辺も考慮して、単に日本の漫画の描き方だけを押し付けることにならないように教えていきたいと思っています。 その漫画家養成セミナー、前回から3か月以上空いてしまいましたが、1月17日に今年最初のセミナー開催が決まりました。

今回目玉は私も初めて教えるデジタル仕上げです、手法はこんな風に時代に合わせてデジタルも入れていきますが、同時にカンボジア文化を背負っていく精神も頑固に教えていきたいと思ってます。 ニッジェイアンチュン(カンボジア語で「ところで・・・」)  ASEAN10か国、とか偉そうに書かせていただきましたが、こういう私もカンボジアに住んでタイやラオスには何度も行っていて詳しいのですが、その他の国は実はあまり深くは知りません、いまだに「あ、ブルネイってここにあったのか」というレベルでだったりします。まあでも、日本に住んでいても自分の居るところの最寄り10都道府県についてどのくらい知っているかって聞かれたら、やっぱりよくわからないですよね(笑)。 ------------------------------------------------ 【Mashiro】 少年期の夢はボクシングの世界チャンピオン、青年期の夢は漫画家で某少年漫画誌新人漫画賞の最終選考作品に名前を連ねていたが、就職と共に夢は自然消滅。その後サラリーマン、海外援助団体勤務を経て現在はカンボジアで会社経営しながらカンボジア初のストーリー漫画を制作・出版・販売、また、漫画家養成セミナーを開催してカンボジア人漫画家の育成を行いながら、昔の夢2つを同時に実現中。

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