特別講座「『ルパン三世』とその世界」 ~自分たちの時代の風を背負って、新しい時代に立ち向かう~
2015年、6月21日。ゲリラ降雨が降りしきる江東区森下文化センター、田河水泡・のらくろ館にて、漫画家・モンキー・パンチ氏、演出家・おおすみ正秋氏、作家・辻真先氏を講師に招き、「『ルパン三世』とその世界」の講演が開かれた。
森下文化センターは7月をもって、13ヶ月におよぶ大改修工事を控えており、まさにその区切りにふさわしい記念的な講演となった。会場は150名にも及ぶファンで満席となり、ルパン生誕48年を経た今でも褪せない魅力を証明していた。
モンキー・パンチ氏は、言わずと知れたルパン三世の原作者。おおすみ正秋氏は、テレビアニメ版ルパン三世、第一シリーズの監督。辻真先氏は、ルパン三世のノベライズを手掛けた。世代を超えて魅力を発揮するルパン三世を語るのに、このうえない豪華な講師を招き、貴重な話が披露された。
●『ルパン三世は、アニメ化不可能』だった?
ルパン三世は、1967年、週刊漫画アクションの創刊号とともに掲載され、一般読者はもちろん、エンターテイメント業界人の話題となった作品だった。
【辻真先】(以下、【辻】)
「当時、いろんな作品を読んでいましたが、なかでもルパンは面白かったですね」
【おおすみ正秋】(以下、【おおすみ】)
「ルパンが漫画として世に出たとき、『こんなにアメリカンテイストな、すごい漫画が登場したな』と驚きました。
原作者の”モンキー・パンチ”という名前を見たとき、『まさに名前にふさわしい作品で、作者は外人だ』と思い込みました。でも、それにしては日本のことに詳しすぎるから、外国で食い詰めたコミック作家が日本に移住して活動しているのだと思ってました(笑)」
【モンキー・パンチ】(以下、【モンキー】)
「私は”加東一彦”の名前でも活動していたんですが、ルパンを執筆したときの編集者から、『おまえの絵柄は”モンキー・パンチ”だろ』と言われて、名前を変えました(笑)。当時はその名前を使うのが嫌で、我慢して1年間だけ使おうと思っていましたが、もう40年以上も使ってます(笑)」
漫画連載開始から4年後の1971年。ルパン三世を知る多くの人々にとって欠かせないコンテンツのひとつである、ルパン三世・テレビ第一シリーズが放送されたが、監督を務めた、おおすみ正秋監督も、原作者であるモンキー・パンチ先生も、「アニメ化は不可能だと思っていた」という。
【おおすみ】
「当時、ルパン以前に何本かの大人向けアニメが製作されましたが、どれも視聴率が芳しくなく、テレビ関係者には『大人向けアニメはだめだ』という意見が浸透していました」
ー当時のテレビアニメーションといえば、子供をメインターゲットにした製作が主流だったというー
【おおすみ】
「プロデューサーからアニメ化の打診があったとき、自分を含む関係者は皆、『ルパンは大人向けに作るしかないから不可能だ』と、企画を通すのは不可能だと思っていました」
【モンキー】
「私も、おおすみさんの言うとおり、アニメ化は不可能だと思ってました。漫画のルパンは複雑なストーリーでも、ページをめくって読み返せばよかったのですが、アニメはそうもいかないので」
ーだが、”ある条件”が合致し、おおすみ氏は監督を務めることにー
【おおすみ】
「当時、製作会社でアルバイトという立場であったことと、『完全に大人向け作品を作るのであれば』という条件が合致して、プロデューサーから『大人向けアニメを作ろう』と了承されました。当時は他の仕事も兼任していてアルバイトだったのですが、もしも正式なスタッフだったら製作に参加していなかったと思います」
●自分たちの時代の風を背負って立ち向かう
【おおすみ】
「漫画版ルパンは、コマとコマの間に作者が描きたいけど描かなかったものがたくさん読み取れ、大人が見るべきテーマである60年代のピリピリとした時代性と結びつくものが見て取れました。
当時の大人向けアニメというと、エロティックさを含んだ、しっとりとした作風がイメージだったので、そういったイメージを払拭させながら売り込む必要がありました」
【モンキー】
「アニメ化の企画の話をいただいてから半年後に、見本映像として製作されたパイロットフィルムを観たら『ここまで作るとは!』と驚き、アニメ製作を了承しました」
【おおすみ】
「テレビ局や代理店に持ち込んだ企画書には、イラストを書き殴ったものや、創作メモ、スタッフの電話番号、当時の印刷技術では印刷不可能だったが靴で踏んづけた足跡を載せようとした企画書を作り、『なんだこれは!?』と期待感をあおる作戦を立て挑みました。
スタッフがやりたいことを描きすぎて、後々変更点が生まれることを考えたら後には引けなくなってしまった感はありましたが、『新しいことどんどんやろうよ』と腹をくくり、子供向けに路線変更する意見は出ず、企画が進行したんです。
ルパンという作品から、60年代後半の新宿発のサブカルチャーをはじめとする時代が大きく変わろうとしていた空気を反映しているように感じており、アニメもその空気に乗って製作しました」
【辻】
「私は皆さんよりもひとまわり歳が上で、これまで多くの業界の現場を見てきましたが、『我々はこうやって生きてきた』という自分たちが生きた時代の風を背負って立ち向かい始めたなと感じましたね」
ー製作において、”3つの柱”があったという、おおすみ監督ー
【おおすみ】
「1つ目は、小道具をクローズアップするカットを多用するために武器や車といったものはすべて本物を参考にしようというもの。
2つ目は、クローズアップしたカットをどんどん繋いでいこうというもの。海外アニメではキャラクターのパフォーマンスを見せるカット割りが常識だったんですが、日本のアニメーションではそこまで動かすことができなくて、小道具類をクローズアップしたカットをどんどん繋いでいきました。小道具をリアルに描いたのは、このためでもありました。
3つ目は、他のアニメーションで主流だったシンメトリー(左右対称)なポーズ絵でなく、モンキー先生が描いた、片足に重心を置いたり、片手をポケットに突っ込んでいたり、片眉をあげてニヤリと笑っていたりといった、アシンメトリー(左右非対称)な絵でいこうというものでした」
【モンキー】
「漫画では作画する時間の都合もあり、”ワルサーP38を使っている”とか”ベンツを使っている”とはっきり明記せず、すべて実物を似せて描いてました。
また、連載時、計算しながら描いたものよりも、勢いに乗って描いたもののほうが読者の評判が良かった。計算したものは、読者に内容を見透かされていたんでしょうね。漫画は勢いに乗って描くものだなと思いました」
【おおすみ】
「ルパン以外の作品で、当時の人気作で描かれていたシンメトリーで安定感のある絵というのは、『軸をぶれさせず、耐え抜けば、必ず報われる』という高度経済成長期を体現していて、そんな時代が終わって『シラケ世代』が登場し始めたとたんに消えてしまった。先生が勢いに乗って描いたアシンメトリーな絵は、その後の時代を予感していたんじゃないでしょうか」
●視聴率低迷という壁、しかし……
その後、アニメは残念ながら低視聴率に悩まされ、その原因としてキャラクターの説明シーンが不足しており視聴者に伝わり辛かったという意見があったそうだが……。
【おおすみ】
「説明不足は、視聴率が低かった理由にされるとわかっていましたが、企画会議の場で『下手な説明はやめてギリギリな説明のほうが、その時代のとがり具合を描写できる』と何度も説明していました。するとテレビ局や代理店の人たちは『それいいですね!』と私以上に賛同してくれて。結果的に、それが視聴率が低かった原因とされてしまいましたが、しかし当時最もやりたかった映像表現であったし、内輪ではとても評判がよかった。
しかし近年になって、当時子供の視聴者から感想を聞いてみると、説明不足でもちゃんと内容理解してくれていましたね。
当時、先輩のアニメーション監督からは『子供らしいアニメを作るべきだ』と懇切丁寧に説かれましたが、もしその通りにしていたら、主題歌が『♪いけいけ、ルパーン!』なんていう、子供向けルパンになっていたかもしれません(会場、爆笑)」
【辻】
「とがった作品を出すと、古い世代は理解に苦しみながら作品を読み解こうとしますが、エンターテイメントはそんなふうに読む物ではありません。
世代はどんどん代替わりしていき、好みもどんどん変化していきます。日本では2匹目のどじょうを掴む人ばかりなのは損したくないからですが、1番手がいるからこそ、2番手、3番手がいるんです。新しい世代に向けて早急にとがった作品を出すと痛い目に遭うのは仕方のないことです。
先日、改めておおすみ監督のルパンを観ましたが、ぜんぜん説明不足を感じませんでしたね」
●新しい作品を作る若者達へ「時代の風を背負って立て!」
この他にも様々なエピソードが語られたが、最後に新しい作品を作っていく若者達への一言で、講演は締めくくられた。
【モンキー】
「私がルパンを執筆していた当時からすると、現代の世界は想像もできず、これからもできません。今後も新技術が次々と生まれるのでしょうが、それに囚われないでください。
私は真っ白い原稿用紙を前にして、無性に漫画が描きたいという想いでいっぱいです。それこそが漫画を作る原点だと思います」
【辻】
「我々エンターテイメントの世界は売れてこその世界ですが、そういうのは『もういいだろう』という気がしていて。
子供の頃に好きだった時代小説の夢の世界を、ほんちょっとだけ書いていこうと思います。そういう想いがあるぶんだけ、未来があります」
【おおすみ】
「現在のアニメ会社は、私の時代とは完全に変わってしまっていると感じます。若い世代は第1期ルパンが低視聴率に悩まされたことをなんとなくしか知らないまま、おしゃれさや、とがった表現を踏襲したいと私に言いますが、私は時代の空気を踏まえて製作しました。
ルパンが未だに多くのファンを抱えているのは、表現レベルのおしゃれさや、とがった作風に目がいっているわけではなく、当時のシラケ世代の空気が40年以上経った今でも残っているからです。そのシラケの延長線上で、未来が信じられず不安になっている人たちがいるはずですから、そういった時代の空気を掴んでほしいです。
今後のルパンも、新しい時代の風を掴んだ新作が作れると思いますから、古典作品にしてしまうのはまだ早いですね」