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漫画家・浅田弘幸 interview


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ジャンプSQで『テガミバチ』を連載中の浅田弘幸先生。人気作品を連載中の浅田先生に"

赤鮫"ことインタビュアー近藤哲也が噛みついてきました!

今日はお時間取っていただきましてありがとうございます。 早速ですが、絵はいつぐらいから描き始めましたか?

浅田――物心ついた頃には描いてたので…。 幼稚園のころ、絵を先生に褒められたりして調子に乗ったのは憶えてます。

その頃は何を描いてました?

浅田――見たものなんでも描いてたと思んですけど、テレビで見てたウルトラマンとか仮面ライダーとかが多かったんじゃないですかね。 キカイダーの透けてる機械とか、ハカイダーの脳みそのシワにこだわって描いてた記憶があります。

子供の時に影響を受けた漫画などありましたか?

浅田――もういっぱいですね。 まだ本屋さんが立ち読みを許してくれる時代だったので、毎日片っ端から読んでました。 手塚治虫先生に藤子不二雄先生、石森章太郎先生、永井豪先生、石川賢先生、松本零士先生。 表現のスタイルを意識し出したのは、小学校高学年から思春期に影響を受けた江口寿史先生の漫画からです。 当時、週刊ジャンプでありながらポップな作風や絵柄に惹かれて。 そこから広がって十代で大友克洋さん、上條淳士さんに綺麗に影響受けてきた世代です。

いつから漫画家になろうと思いましたか?

浅田――小学生の低学年くらいです。その時になりたかったのは漫画家か野球選手かサッカー選手かプロレスラーで、でも身体が大きくならなかったんですよね。早生まれでクラスの中でもちっちゃくて、運動も好きだったけど絵を描く方に行っちゃいましたね。 プロレスラーになりたかったな~(笑)

浅田先生がそんなにプロレスラーになりたかったなんて意外でした(笑) でも先生は美容師の専門学校行かれてたんですよね? あんまり漫画とは関係無い感じがするのですが、どうしてですか?

浅田――漫画に関係無いですよね(笑) 僕は学校途中でやめてるんだけど、バイトしてる時に地元の理美容学校に行った友達がいて、話を聞いてたら楽しそうに思えてしまって。

理美容学校卒業した後に漫画の道に進んだんですか?

浅田――卒業してそのまま床屋に就職したんですけど、体壊しちゃって…。 休んでる間に漫画を描いたりとかしてて、その間に「本当にやりたいのはこっちなんだよな~」というのが出てきて、お店も正式に辞めてバイトしながら漫画の投稿作を描いった感じですかね。 その時、出来上がった漫画をどこに送ろうかなといろいろ考えたんですが、「週刊少年ジャンプ」じゃないなと思ったんですよ。

それはどうしてですか?

浅田――肌に合わないというか…あの頃のジャンプのテンションの高さは異常でしたからね。 なので最初は「週刊少年サンデー」に持ち込みました。そんなに反応も悪くなかったんですけど、その当時は新人の賞が年2回ぐらいしかなくて、それがちょうど終わったばかりで「また次のときに持ってきて」って。 そのときバイクを買ったばかりで、その漫画を仕上げるためにバイトしないでバーッて描いたので、今月のローンどうしよう!ってなるじゃないですか(笑) せめて一ヶ月分くらいしのげないかと…、近いうちに賞がある雑誌を探したらそれが「月刊少年ジャンプ」だったんです。

じゃあ「月刊少年ジャンプ」との出会いはバイクのローンを払うために一番近い賞があったからなんですか?

浅田――はい(笑) それがストーリー部門で準入選をいただいて。 締め切りまで1週間ぐらいあったんで15ページの1本描いて、そっちもギャグ部門で努力賞もらいました。 準入選のはすぐに掲載されて、アシスタント先も紹介されて、そっからこの世界にダーッて感じです。

準入選だったら一括でバイクのローン払えたんじゃないですか?

浅田――そうなんですよ(笑) ローンだけじゃなくてそのあとの人生も変わりました。

紹介してもらったアシスタント先は小谷憲一先生ところなんですか?

浅田――そうです。自宅からも凄く近くて。 あっ、そうそう、僕が中学ぐらいの時にカリフォルニアにあるみたいな白いデッカい家が建って、「なんだここは!」って思ってたらそこが小谷先生のお宅だったんですよ。 そこで2年半ぐらい仕事をさせてもらいました。

漫画家になろうとした時ご両親の反応はどうでしたか?

浅田――うちは結構特殊な家で…。 放任なんで、あまり反応はない感じで。

やりたいことをやらしてくれる感じですかね?

浅田――やりたいことをやらしてくれてるというより、僕にあまり興味がなかったんじゃないですかね。

もしかして先生は当時、そうとうヤンチャなことしてたんですか?(笑)

浅田――そういうわけではないですけど(笑)

うちの家も人に迷惑かけなければ好きなことしていいからからって言われてまして、高校の三者面談の時にプロレスラーになりたいって言って、新日本プロレスのテストを受けたんですけど…(しばらく近藤のプロレスの話が続きましたので省略します)

漫画家になって悪かったこととかありますか?

浅田――ひとつもないです。身体は悪くなりましたけど(笑) 最近、老眼から漫画を描く姿勢が変わってきて、原稿に目を近付けて描いたりしてるので首とか肩に負担が行くようになったのか、コリとか疲れがひどくて。 そこからめまいとか。整体とか行くと「ありえない方向に体曲がってますね~」って。 描いてる姿勢も身体がねじられて斜めになってるみたいです。 職業病なんで、現役である証だと思ってますけど。

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良かったこととかありますか。

浅田――全部が良かったことですよ。 これだけ長いあいだ漫画で飯を食えてると言うだけで本当にありがたいです。 他の人生は想像できないですから。

全然関係無いんですが、浅田先生の住まれてるこちらは緑が多くていいですね。

浅田――うん。 昨日の夜とか玄関にカエルがいて、その横の壁をヤモリがサーッて歩いてって、巨大なクモが肩にボトッて落ちて来て、うわ?!って(笑)

先生は虫は嫌いなのに大丈夫ですか?

浅田――いや~、ねえ…、ダメですね(笑) ムカデとか超嫌ですね。 アシスタントさんと飯食ってて、「あっ、ちょっと動かないでください」って言われて、肩を紙でバシッて叩かれて、ムカデが乗っかってたんですよ。

それは…、他にもなにか出てくるんですか?

浅田――家の中にでかいカマキリいたときは「おお!」って思いました。 あとアシダカクモっていって手を広げたぐらいのサイズのがトコトコトコってわりと頻繁に出て来ますね。 その子は害虫とか食べてくれるいいやつなんで頑張ってもらおうかなと思って見て見ぬふりしてますけど、そのデカいのが深夜、目の前に急に現れたりすると結構しんどい。

そんな自然に囲まれて生活している先生の漫画を描くときのこだわりはなんですか?

浅田――自然は関係ないですけど(笑) 自分自身がこだわりの塊みたいなもんなんで、どこで諦めるかって言うことですかね。

どんどん描きこんで行っちゃうんですか?

浅田――というよりは、表現の落としどころ…、というか。 例えばどの線を選ぶか?っていう。 線って少なければ少ないほど難しいんですよ、1本の線、そのラインが1ミリずれただけでも表情が変わっちゃう。 そういうところでどの線を選ぶか、漫画の場合は特にペン入れして清書するわけじゃないですか。 下描きどおりに入れればいいって言うわけじゃないし、これがいいって言うものが出てくるまでやるというこだわりですかね。 

例えば3ヶ月と言う時間がもらえるんだったら、おんなじページ数でそれだけかかっちゃうと思うんですよ(笑) 1日で出来るものも、とことんやろうと思ったら3か月でも時間足りない!みたいな。 だからそれはどこで切っていくかという事なんです、漫画家は。でも一方で、凄い時間をかけて出来たものが良いとは限らないのも分かっているわけで。何日も迷って全然うまくできなくて、なんかのきっかけで5分ぐらいでバッとできちゃったり、その仕上がりが気持ち良かったり…。 そういうものが出て来る状況を作る、っていうこだわりですかね、自分にとって大事なのは。 

絵に関しても物語に関してもそうなんですが、生きものなのでその瞬間瞬間で全部違う。 こだわりとはちょっと違うかもしれませんが、漫画って絵だけではないし、話だけでもないから物語を重視する自分と絵を重視する自分が2人いるんですよね。 そのせめぎ合いというか。 絵をこうした方が気持ちいいんだけど、物語を円滑に面白く見せるにはこうでしょ?みたいな、自分の中のぶつかりあいが面倒臭く感じる事は多いです。

だから、いつもいいものが出来上がっていくんじゃないんでしょうか?

浅田――両方がちゃんといくといいものになると思うんですけど、それが中途半端になっちゃうときもあるし、むずかしいですね。

でも、毎回満足したものが出来上がってしまうと向上することがなくなってしまうんじゃないんでしょうか?

浅田――良いものできたと思っても、見返すと「あれっ?」って言うことも多いですから、ずっとそういうものじゃないんじゃないでしょうかね。

作品のことなんですけど前回の『I’ll』はリアルで『テガミバチ』はファンタジーなのですが、描くにあたってなにか違いはありましたか?

浅田――『I’ll』は現代が舞台で全部リアルにあるものじゃないですか、たとえばコップがデカかったりしたら変だったり、そういうのに合わせて描いていくのが疲れたというか、靴もデカいけどこの世界はこの大きさなんだよ、人は基本ブーツを履いているし、ここに鋲とかあった方がカッコいいじゃん!みたいなディフォルメも含めて自分のルールでそんな世界を作りたいな…とはじめたのが『テガミバチ』なんです。

馬車ひっぱる動物もいろいろ出てきますもんね。

浅田――馬そのまま忠実に描かなくてもいいじゃんって。なんだかわかんない変な動物でも納得してもらえる世界ですよね(笑)

ミルマスカラスのマスク被った?動物も出てきましたもんね(笑)

浅田――描いててもそういうところが楽しいところだったりするんで。 現代ものばかり描いているとそういう方向に脳が振れなくなってくるんですよね。

お話の作り方や考え方も真逆にある感じですもんね、そう言えば『テガミバチ』の鎧虫の名前なんですが由来とかあるんですか?

浅田――全部、お酒の名前なんです。 適当につけたらなんとなくそうなっていったというか…、みんないっぺんに出て来ると居酒屋のメニューみたいになっちゃいますよね(笑) もともとタバコが好きだったんですけど、辞めたらお酒にはまっちゃって。 依存体質なんでしょうね。ウイスキーでも日本酒でもなんでも好き。

凄く気になってることがありまして、『テガミバチ』のゲボまずスープの味はどんな味ですか?

浅田――なんかね…生臭いんじゃないのかなと。海鮮が入ってきてるんじゃないかな(笑)

僕はブルーチーズとか入ってるんじゃないかと思ってたんですが、そっちでしたか(笑)先生は絵に対して描きたくなくなるときってあるんですか?

浅田――いっぱいありますよ、それこそ準備不足でリングに上がりたくない格闘家と同じじゃないですか。 月刊誌なんで1回原稿上がったあとは少し時間が空くじゃないですか。 次の仕事前には自分の漫画読んだりしてそこからモチベーションをあげてって、その世界にもう一回入りなおしてネタを作って準備して、原稿は完全にリングの上で作戦立てて戦うだけみたいな。 なのにイラスト仕事や単行本作業が押して、今月は準備もできてないしまだリングに上がりたくねーよって時もあって、でも、もう上がんないと間に合わないとかそんな状態がよくあります。

スランプのときの気分転換やアイデアはどうしてるんですか?

浅田――ネタ出しが詰まった時はお風呂がいいです。考えに没頭するのに良い空間というか。血流も良くなるのか、一番アイディア出てきます。 絵が上手くいかない時はもう、机にむかって無理やりですね。 その時間が大事だと思うんです。 気分転換は本当に気分転換しちゃうとまずいんで(笑) とにかく格闘し続けてるうちに光が射してくるみたいな、そういう時間がないとできないんじゃないですかね。

自宅と仕事場が同じだと難しくないですか?

浅田――特に子供がいると難しいですね、集中する時間が少なくなってくるんで。子供を寝かしつけた後に深夜に進めたり。

一緒に寝てしまわないですか?

浅田――寝てしまうんですよねこれが! しかも俺の方が先に寝てしまって、そして夜中3時ごろ目が覚めて「ヤバッ!!」って、よくあります(笑)

仕事場には子供さんも自由に来れるようにはしてるんですか?(2階がご自宅)

浅田――いつでもこれますね、なので仕事場は別にすべきだったなと。 最近はだんだん知恵が付いてきて、俺のマネをして「仕事行く!」って仕事場に降りてきてコピー機をガーっとか連打したりして「やめろ~~」みたいな。 イタズラ三昧で、男の子って本当にひどいですよ(笑)

ブログで拝見すると、浅田家は毎月風邪で一家全滅してますよね。

浅田――公園でゲホゲホしてる子と遭遇するとすぐですね。 そして風呂とか入れるじゃないですか、そうすると親は3倍ぐらい強烈にうつっちゃって死にそうになるんですよ。ヤバい時期にきちゃうとその後の仕事の予定もガタガタになっちゃったりして。

大人の方が風邪には弱いですもんね…、息子さんももうちょっと大きくなれば大丈夫ですよ!

浅田――そうですかね、そうだといいんですが。

いままでで担当さんに言われてショックなことってありましたか?

浅田――ショック……、うん、色々あるけど。 昔、デビューして次の読みきり用のネームを何度も直して持っていってた時、担当さんが副編集長に「今ちょっと見せてくる」って。 そしたら「なんだよこれ!!全然変わってねえ!なんにも面白くねえじゃねえか!これから飯いくのか!?いいもん食わせんなよ!」って怒鳴り声が聞こえてきて。 担当がしょんぼりして帰って来て、メシは連れてってもらったんですけど、中華料理屋に行ってチャーハン食べさせてもらって、二人で「はぁ~……」って。

それは19,20歳ぐらいですか?

浅田――18歳でした。「うわっ、やべ~」っておもいましたよ。 まだあまり経験がない時だったんで、色々意見を言われちゃうと整理できなかったり、何度も直しが入って話をこねくり回してるうちに何だかわからなくなってしまったりすることがよくあったので。 でも旧友の柴山薫とか「こんなのいらねえよ!」って、ハサミでチョキチョキ切られたり、ネームを床に投げられたり昭和な目にあってたんで、それよりは全然マシだと思います(笑)

「月刊少年ジャンプ」の編集部は厳しかったんですね!

浅田――いや?、そういう時代だったんじゃないですかね。 そのおかげで今の自分があるのは間違いないですから。これは本当に感謝しているんですよ。

いままでに経験した挫折や絶望などありますか?

浅田――小さくは毎月、〆切り前に必ずありますけど。 …でも1番はデビュー前ですかね。 床屋に就職して、漫画家になりたいという気持ちがあるのに就職して、さらに体壊して休んでるときにどうしようとかありましたね。

今より漫画家になるのは難しいかったんじゃないですか?

浅田――なれるとは誰も言ってくれないですもんね。 雑誌も少ないし、選ばれた人間だけの職業でしたから。 漫画を描いてた友達はいましたけど、そいつとかも大学行ったりしてる時期にプータローしてたから焦りはありました。

小谷先生ところに行って変わりましたか。

浅田――腹くくったというか。 ここでダメだったら何者にもなれないぞという気持ちで必死でしたね。

その時に仲間もできたんですよね。

浅田――新人作家って、本当はみんなライバルなんだけど、そういう感じでもなかったですね。 月ジャンの新人グループの中では俺が一番年下で、でもそいつが一番えばってるみたいな(笑) 楽しいポジションでいさせてもらって幸せでした。漫画家もこの歳になってくると続けるのも厳しくなってきて辞めちゃう人も多いですけど、自分も含めてあの時のみんなは必死で残ってくれてるんで、自分ももうしばらくは頑張りたいですね。

先生にとって漫画とはなんですか?

浅田――おおっ、凄い質問ですね(笑) ん~ん、そうですね、生活の一部ですかね。

普段の生活から漫画のネタに結び付けちゃいますか?

浅田――これをネタに使おうとかじゃなくて、全部生きてくるというか。 あんまり意識してなくてもいいんですよね。 常になにかフィードバックできるというか、描いてなくても描いてるみたいな感じで生きてるんだろうなと。 「I’ll」と「テガミバチ」の間って2年ぐらいあいてるんですけど、休んだ感じもあんまりないというか。

漫画脳のままでいたんですかね。

浅田――そうですね、実作業はしてないけど…、生活自体がそんな感じなんじゃないですかね。 生きることそのものが漫画表現と結びついてるというか。

その間にヨーロッパに行かれたんですか?

浅田――フランスは月刊少年ジャンプが休刊になって、ジャンプスクエアが立ちあがる半年あいだですね。 「バクマン」でも有名な茨木さんがスクエアの編集長になって「行ってきたら」と言ってくれて。 自分の眼で見るっていうのは、本当にいい経験になりますから。 後々の作品作りに必ず利いてくるので。

ヨーロッパは奥様と?

浅田――いや担当と2人旅でした(笑) 個人じゃ見れないような場所も用意してくれてて、あれは大きかったですね。 モンサンミッシェルとかあんがいボロいなと、そういうのも含めて面白かったですよね。 田舎に行けばいくほど感じるものがあったというか。 キャンプでメシ食うだけで美味い!ってなるじゃないですか。 非日常的な旅って人生において色々な貯金になるんですよね。

それ以外の海外のご経験は?

浅田――全部取材ですね、「I’ll」の時にアメリカのシカゴにも行かせてもらって、まだジョーダンがブルズにいる時に。 あとは台湾にサイン会とか。

ジョーダンが居た頃だったらブルズの会場はすごかったんじゃないですか?

浅田――凄かったですね、これが本物かみたいな! あと隣に座ってたおやじが食ってるポテトの量も凄いし、そのコーラ全部飲めるの!みたいな。 ポテトをボロボロこぼしながらギャーって言いながら応援しててジョーダンより気になった(笑)

アメリカのイメージまんまですね(笑)

浅田――『I’ll』は、背景ロケハンがとにかく大変でしたね。 ネームを描いて、「こんなトンネルの絵が欲しい」「じゃあ見つけに行こう」って。 『I’ll』の舞台は神奈川県に実在する国府津という場所で、なので国府津から違和感のない所で見つけなきゃいけないって自分のこだわりもあって、徹夜で車で走りまわって、ここ良いんじゃないかというところを探して…。 今みたいにデジカメじゃないし、写真が現像されるまで時間かかるし(笑)

 今となっては近所ですが、鎌倉の鶴岡八幡宮が出てくる回があるんですけど、こんなアングルが欲しい!って、原稿中に車とばしたのは良いんですがその時にかぎって土砂降りで(笑) そんな中で写真撮ったけど、現像したら何の役にも立たなかったとか……楽しかったけど大変でしたね。

そう言えばバスケは好きだったんですか?

浅田――そうでもなかったんですよ、はじめたころは。正直に言えば「バスケ」という題材は編集部からの提案です。 バスケ=『スラムダンク』のイメージで編集も乗っかってきてるのがわかるじゃないですか、だから二番煎じでは絶対やりたくない。 でも、色々考えているうちに、俺ならこういう形で描けるかもしれない、というものが出てきて。 

主人公がバスケを捨てるところからはじめて、僕もキャラクターと一緒にバスケを最高に愛せる所まで行こうと思ったんです。結果やってるうちに僕も凄く好きになって、深く追求するようになって。だからこそ長期連載になったんだと思います。

先生は格闘技やプロレスがお好きですけど、そういった漫画は描こうとは思いませんか?

浅田――凄く描きたかった時期もあるんですけど、少年漫画で描くと超人的なものを求められる気がして。 僕はもっと…リアルなもので描きたいなと。 自分が見てて好きなのは選手がリングに上がるまで…。 どんな意志を持って上がるか、そういうところを描きたいなと思ってしまうんです。

その人の思いですね。

浅田――PRIDEの時の田村潔司選手とか好きだったんですよ、「なんか凄い思いを持ってくるなこいつ!」みたいな。 そういう漫画なら描きたいですね。

渋いところですね(笑)

浅田――この短い試合の為に長い長い人生があった…。 そういうのが面白いなと。 そんなのは描いてみたいですね。

夢を追いかけてる人に漫画家になりたい人に一言お願いします。

浅田――単純に絵は描いてれば上手くなるんですよ、当たり前のように。 ただ漫画家ってそれだけではないから難しい。 でも自分の感じたもの見たものをフィードバックできる仕事ってそんなにないと思うんですよね。 自分がいろいろ体験して、あらゆる刺激を自分から受けに行って、それを閉じこもって描く作業なんで…。 

仕事自体は本当に孤独だと思うんですけど、それに耐えて生み出して下さい。 もちろん閉じこもるだけでは何にも生まれないので、メリハリでいろんな体験をしてもらいたいと思います。

今日は貴重なお時間ありがとうございました、浅田先生は謎な部分が多かったのですが、今日でかなりわかることができましたし、ファンの方もビックリすることが多いんじゃないでしょうか。

浅田――こちらこそありがとうございました。 近藤さんの格闘家の裏話楽しかったです。記事に出来ないのが残念すぎる(笑)。これからも頑張ります。連載中の『テガミバチ』よろしくお願いします。

(インタビュー・執筆/近藤哲也)

【関連リンク】

浅田弘幸 公式サイト

※本記事は「赤鮫が行く‼︎」2014年8月の記事を再編集したものです。

後でもう一度お試しください
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