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漫画家 ロビン西 / ワークショップレポート


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2014年3月21日、東京椎名町にあるトキワ荘お休み処にて、漫画家ロビン西のワークショップが開催された。

 ロビン氏の著書である『マインドゲーム』、『ソウルフラワートレイン』は映像化もされ、『マインドゲーム』は文化庁メディア芸術祭アニメ部門大賞を受賞した。

 映画『マインドゲーム』製作者の湯浅政明監督は、「想像を絶すると言いながら絶さないものが多い中、期待を裏切らないイメージ&オリジナリティ」と評し、「(映像化に際し)出来るだけ原作から離れた物にしたかった。しかし(映画製作を)進めて行くにつれ、原作の巧みさにどんどん引きずられていった」と、コメントしている(飛鳥新社刊、『マインドゲーム』巻末コメントより)。

 「天才」、「奇才」と評されることの多いロビン西氏は、ワークショップに参加した若手漫画家、クリエイター達にどんな話をしたのだろう?

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●漫画にどっぷりだった子供時代

―――ロビン先生は1966年に大阪で生まれ、兄と姉がいる三人兄弟の末っ子として育った。

「子供時代は漫画にどっぷりな生活でしたね。

 実家の工務店では、住み込みの社員さんが読み古した漫画をもらっていて、当時出版されていた男性漫画誌が全誌揃っていたんです。ピアノを習っていた小学生の頃、ピアノ教室に少女漫画も置いてあって、それも全部読んでいました。

 兄も姉も漫画を描いてて、小学三年生のころ、自分ははっきり漫画家になりたいと思ってました。姉は当時『ウンコロリの冒険』っていう、めっちゃ面白い漫画を描いてて周りでも大好評だったんですけど、中学に上がったとき「ウンコなんて嫌や」と言って連載終了してしまいました(笑)。お願いだから描いてくれ! って頼んだんですけどね(笑)。」

―――ロビン先生には子供時代からの友人で、現在も活躍中の作家がいる。『コップのフチ子さん』で知られる作家、タナカカツキ氏である。

「タナカ君とは小学校、中学校時代、一緒に学級新聞に漫画を描いたり、学級文庫に肉筆同人誌を作って置いたりしてました。当時、プロの漫画家さんたちは『○○プロ』って名前を使っていたので2人で『白目プロ』というのを設立したり、タナカ君の家が化粧品を扱う仕事をしていて、僕の家が工務店なので『ロレアル工務店』っていうタイトルの同人誌も作りました。

 肉筆同人誌を描きながら、2人それぞれで短編集も描いてて、すごいハイペースで刊行していたんですよ。肉筆同人誌にはちゃんとグラビアのページがあって、それがテニスをしているオッサンの一枚絵という(笑)。クラスの真面目な女子が僕らの本を机の下に隠して読んでクスクス笑ってるのを見たんですけど、中学生女子が笑ったらあかんやろ! みたいなページで笑ったりしてましたね。大人からは『おまえら、なに漫画ばっかり描いてんねん!』って怒られました(笑)。」

―――”漫画にどっぷりな生活”のエピソードに会場が爆笑で包まれるなか、クリエイティブな一面も語られた。

「小学一年生のころは仮面ライダーの模写をしながら、オリジナル漫画を描いてました。少女漫画では『エースをねらえ!』の作中の心理描写にめっちゃ影響を受けて、当時の少年漫画には描かれることのなかった心理描写を描くようになりました。

 中学校時代は本格的に大人漫画が好きになって、黒鉄ヒロシ先生、谷岡ヤスジ先生、谷口ジロー先生、大友克洋先生なんかを、めっちゃ模写してました。ある時期から、自分の描いた漫画が突然劇画チックになったりして(笑)。

 一緒に漫画を描いていたタナカ君とは、机を向かい合わせて学級新聞に載せる四コマ漫画を描いていたんですけど、自分の描いた漫画が完成したはしから見せ合って、笑ったら採用! というスタイルで掲載してました。で、相手の漫画ばっかり笑っちゃうのが悔しくて笑うのを我慢するんですけど、『おまえ、いま笑うの我慢したやろ!』って突っ込まれたりしました(笑)。」

●デビュー後、楳図かずお先生のアシスタントを経て、作品作りの葛藤の日々

「高校一年の時、『ガッツ犬ラッキー』っていう、人間の女の子に恋をする犬の話を描いて、それが少年マガジンの最終選考まで残って、生まれて初めて担当編集者がつきました。 でも、マガジンの編集さんからはコンタクトがないまま音信不通になってしまいました。

 高校を卒業したあと、週刊スピリッツへ投稿した『基礎からの性教育』という作品が佳作入賞して、初デビューしました。おちこぼれ男子3人組が助けたネコが女教師に化けて、成績アップしたらエッチなことをさせてくれるっていう内容でした。

 その後、スピリッツの編集さんとコンタクトを取っているうちに東京で打ち合わせすることになって、何回目かの打ち合わせで『今から楳図さんが来るから』と突然言われたんです。

 楳図さんって誰? って、よくわからないままでいたら、漫画家の梅図かずお先生が打ち合わせ場所に現れて、アシスタントに来てくれと頼まれたんです。それから楳図先生の仕事場に一週間泊まり込みでアシスタントをしたんですが、先生から突然『いつ東京に引っ越してくるの?』と聞かれて、じゃあ3日後に! と答えて、上京することにしました(笑)。」

―――楳図かずお先生のアシスタントをするために上京し、半年間、アシスタント業を続けた。

「楳図先生から自分の作品に対するアドバイスというのはほとんどありませんでした。ただ、自分は楳図先生が持っているイメージ力には全然足りてないということを実感しながら、スピリッツ編集部に読み切り作品を持ち込んでましたね。

 編集さんと議論して戦っていたんですが、なかなかOKをもらえない日が続いていたあるとき、自分の意見を取り下げて編集さんの意見をすべて受け入れて作品を作ったら採用され、本誌にも掲載されたんです。でも、自分で読んでも全然面白くなくて、読者からも無反応でした。当時を振り返ると、担当さんの言葉通りやってもダメだし、自分だけに自信があってもダメなんだなと。もっと柔軟に対応できていたらな思います。」

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●自由に描くために

―――その後、週刊モーニングにて、藤嵜ヒトシ名義で『俗物王(講談社刊、原作・鶴屋次楼)』を連載することに。

「『俗物王』は2年ほど連載させていただきましたが、続けるのがだんだん辛くなって連載終了を願い出たんです。すると当時の編集長から『旅に出てみなよ』というお言葉をいただいて、色んな作品を描いてみることにしました。

 それから、もっと自由な気持ちで描けるようになりたいという環境作りを模索するようになりました。

 まず、作画するための道具として、漫画専用の原稿用紙ではなく、持ち運びが自由なA4のコピー用紙にボールペンやサインペンといった、手元にある物で作画するようにして、いつでもどこでも漫画が描けるようにしました。

 執筆する場所も工夫しているんですが、現在はファミレスで描くことが多いですね。ファミレスは広いしコーヒーもあるし、めっちゃ快適ですよ。でも混んでるときは遠慮するようにしてて、ちゃんとお店側にも『あの客はわかってる』と思ってもらえてますよ(笑)。

 作画の面では、枠線の線を定規でカッチリした線を引くのではなくフリーハンドの線で歪ませたり、楽しんで描いています。

 漫画を描く場所や環境が、漫画の世界観やスケールにすごくリンクすると思うんですよ。 とにかく、楽しく描ける環境作りを日々模索しています。」

―――ペンネームを『ロビン西』とした後、代表作である『マインドゲーム』、『ポエやん』、『ソウルフラワートレイン』を執筆。現在も”自由な気持ちで楽しく描ける環境作り”を模索しながら執筆し続けている。

「作品を掲載する媒体探しは、ほとんどやめてます。

 絵に関しても、中学くらいまでは模写ばっかりしてましたが、ヘタなほうが面白いなと気付いてから、絵を上手になるのをやめました。といっても、描いているうちにだんだん上手くなってしまうので、上手になった絵は漫画以外の場で楽しんで、漫画ではシンプルな絵を意識して描いて、両方とも楽しんでます。

 漫画を描くのがイヤになった時期もあったんですが、『イヤになったらおしまいじゃん』と気付いて、いち漫画ファンからやり直して、また漫画を描いていました。

 漫画を描く以外にも、音楽をやったり、役者をやったりした時期もあるんですが、漫画は自分の人生観をすべて捧げるといった一面があるので、実体験がないと描く漫画にも厚みが出ないと思います。

 雑誌に載せることを意識すると萎縮する気持ちがあって、売れるモノを作るときは純粋な楽しみ以外の要素が必用ですから、モノを作る楽しさを失わないよう色々工夫してます。

 実は『マインドゲーム』に登場する思想や哲学なんかは、どこかで見聞きしたことをうろ覚えの状態で描いてて、ストーリーやキャラに関しても、メチャクチャで荒唐無稽なものが読みたい! 少女漫画に使われていた心理描写を使った漫画を読みたい! という衝動で描きました。ネームも編集さんに通さずに描き始めたら、5日間で50ページの作画が完成しました。『マインドゲーム』は漫画製作のお約束ごとをすべて無視して描いてみた作品です。」

―――最後に、ワークショップに集まった漫画家、クリエイター達へメッセージを送った。

「初期衝動が創作するうえで一番大事だと思っているのですが、それを守ることも創作の一環です。楽しめる工夫をしながら描き続けてください。」

後でもう一度お試しください
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